川久保玲 【ファッション偉人図鑑】第1章前編
1.ファッション界の怪物 川久保玲
このシリーズでは、
ファッション素人の「僕」と
「ファッションデザイナー」や
「ブランド」について、
学習していきましょう!
今回紹介するのは「川久保玲」さんです。
川久保さんは、
世界で最も高い評価と
尊敬を受けているデザイナーで、
コムデギャルソンを創業。
「日本人最高峰」のデザイナー。
経営者でもある人物です。
川久保 玲
彼女は1942年に東京で生まれます。
父は慶應義塾大学の職員で、
母は英語教師でした。
彼女は
慶應義塾大学文学部哲学科に入学、
卒業後は旭化成の宣伝部に入社しています。
3年間ここで勤務した後に、
フリーランスの「スタイリスト」になります。
ここで彼女は「独学」で服作りを学びます。
それは自分に
「似合う服がない」という思いからでした。
独学で学んだ事によって、
かたにとらわれない彼女独自のデザインを
「確立できた」と考えられています。
彼女が26歳の1969年に
「コムデギャルソン」を立ち上げます。
名前の由来は、
それまでの日本人ブランドのように
自分の名前を使った日本風のブランド名を嫌い、
英語で長くリズム感のよい
ブランド名にしたいということで、
フランス語で
「少年のように」という意味の
「コムデギャルソン」に決めます。
1973年に
株式会社コムデギャルソンを
設立して社長になります。
1975年には
初めて参加しています。
そして
1981年に川久保玲とコムデギャルソンに
大きな転機が訪れます。
それは
「パリコレに初参加」することです。
同時期には
初めて参加しています。
ここで川久保は
それまでのパリコレでは
「タブー」とされていた
「全身黒で
女性の体のラインを隠して、
服がビリビリに
引きちぎられたようなデザイン」
を送り出しました。
これは
「黒の衝撃」
「東からの衝撃」
と呼ばれ、
ファッション界で大きな議論になりました。
多くのファッション雑誌では
批判する内容のものも多かったですが、
デザイナーの中には
彼女や山本耀司のデザインを
「今までにない、
形式化され退屈であった
パリコレを根底から覆したもの」
として高く評価する者もいました。
その後も川久保は
挑戦的なデザインを発表し続けます。
1997年にはパリコレにおいて、
ストレッチな素材のドレスの中に
綿を入れこぶを作った
「こぶドレス」
を発表して、
再び西洋的な美のバランスの概念に
疑問を呈しました。
コムデギャルソンの前衛的なデザインは、
多くの批判を招くことは多かったようです。
川久保は、
「万人皆に高く評価されるデザインは
安直なデザインである」という考え方
をもっており、
常に賛否がわかれ、議論の的になるような
「デザイン」を目指しているそうです。
その考えの通りに、コムデギャルソンのデザインは人によって捉え方が異なっています。
このような川久保とコムデギャルソンの姿勢によって、50年というファッションブランドとしては
異例の長さを持つ事になったのでしょう。
「ではなぜ賛否がわかれるデザイン
を目指しているのでしょうか??」
その事について次の編でみていきましょう。
つぎも、みてみてね??